なぜ歴史を学ぶのか?そもそもを考えてみる(*´ω`*)
歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である("An unending dialogue between the present and the past."
エドワード・ハレット・カー / Edward Hallett Carr
何かをすべき、といった”べき”論は社会にはたくさんありますが、
歴史を学ぶこともそのうちのひとつではないでしょうか。
学校では社会科で教えますし、受験でも科目のひとつとなっています。
学生の方や学校で歴史を学んでこられた方たちからの声としては、
「年号と人物名を覚えるばかりでキツイ・・・」
そんな悶々とした叫びが 聞こえてきます。
学ぶ意義やその楽しさについて、伝えてくれる人が身近にいれば幸せでしょう。
愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む。
オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン
(独: Otto Eduard Leopold von Bismarck-Schönhausen)
誰しも自分の人生を生きていますから、経験に学ぶことができます。
ビスマルクは厳しい言葉を投げかけていますが、私は経験にまず学ぶべきだと思います。自分の人生、自分史もひとつの歴史です。
ただし、それは過去に、今に生きる大勢の人間の中の1人を対象としています。
統計学的にいえば、サンプル数=1です。
他の人達がどのように生きてきたのか、参考にすることが歴史であり、
数多くのケース・スタディを通して、やってはいけないことや適切でない方法を学んで
同じことを繰り返さないようにする、それが歴史を学ぶ意義なのかなと思います。
でも、ついつい歴史となると”生々しさ”が取り除かれて、”きれい”な言葉ばかりで語られることが多いような気がします。みなさんがよくご存知のように、人が集まればいろいろなことがあります。それぞれが自分の考えをもって日々を生きていますから、社会はとても多様な”色”をもちます。
それは昔も変わらないと思います。
もっと生々しさを、単純には言い表せない人間味といったものを含んで、歴史を語ってみてもいいのではないでしょうか?
多様な考えがあるから、多様な生き方があるからこの世は面白いはずです。
こちら、とても面白いので聴いてみるといいかもしれません。
著者の半藤一利さんの軽快な語り口は読んでいて飽きません。
全体感を掴むにはこちらはうってつけです。