実はけっこう曖昧な言葉たち

「生産性が高い」

「能力は申し分ない」

「モチベーションの維持が難しい」

「彼はカリスマ性がある」

 

それらしい言葉もよくよく聞けば、意味不明。

今日はそんなお話です。

 

抽象化すると言えばいいのか、最大公約数的な表現と言えばいいのか、形容するのが難しいですが、もっともらしい言葉、世間でよく使われる言葉の本当に意味するところを考え始めると、答えがわからなくなることがあります。

 

「生産的ってなんだよ?!」

「能力って何の能力だよ?!」

 

そんなツッコミをしたくなりますが、そんなことを周囲の人間に言えば途端に嫌な顔をされてオシマイなので、黙っておくというのが慎みというものです。

 

曖昧な言葉をつかって議論を濁す事がある時は注意しておかないといけません。事の本質、本当に集中すべきところから目をそらす、臭いものに蓋をする、とりあえず先延ばしのための論法かもしれません。

 

「とりあえずウルサイことは言うな!」

 

何となく社会に蔓延しがちな雰囲気なので、流されずに。問題が顕在化した時には被害が甚大、対応することが困難、そうなってからでは遅い。

 

最近、お亡くなりになった作家の半藤一利さんが著書の中で、「日本人は都合の悪いことは起きないとみる気質がある」的なことをおっしゃっていたのですが、とてもよく観察された意見だと思います。

 

大東亜共栄圏とか、八紘一宇といったスローガンは先の大戦で用いられたワードですが、それが意味するところは今にして思えば、・・・・といったところが多くの方の納得するところではないでしょうか?

 

当事者が如何に現状を都合の良いように解釈するかの良い例かと思います。周囲の人間を説得する言葉として、これらの”曖昧な言葉たち”が使われている、そういった見方は流石に暴論でしょうか?