コミュニティの多重化と関係の網の目化

現代においては、ほとんどの方々はどこかのコミュニティに所属することになります。家庭、地域、学校、会社、趣味のサークル、といったように複数のコミュニティに所属していることが普通だと思います。

 

世界規模でコミュニティを考えてみましょう。こちらのレベルでは、ほとんどの方がどこかしらの国や地域に所属していることになります。

 

国という組織は階層的な組織です。

例えば、日本ではどうでしょうか?

東京都の中央区に住んでいる方を考えてみましょう。

 

まずは日本という国に属していて、東京都という都道府県単位での区分に属していて、東京都のなかの行政区分である中央区に属していることになります。マトリョーシカのように入れ子構造、多重構造になっています。

 

このように垂直方向の区分とは別に、冒頭で示したとおり、性質の異なるコミュニティに属することになります(家庭や学校など)。普段は特段意識することはないかもしれませんが、必要上、その様になっています。

 

もしも任意に属するコミュニティを変更することができて、その中で衣食住が事足りてしまったら、どうでしょうか?現実にはあり得ないのでしょうか?

 

多国籍企業と呼ばれるように、グローバルに活動する企業体が様々なサービスを提供するようになりました。現代ではGoogleAmazonが代表的でしょうか?

 

例えば、Amazonを利用すれば、日用品はスマホで調達する事ができます。Prime会員になれば、映画を観たり、アニメを観たり、音楽を聞いたりできます。KindleUnlimitedを利用すれば、定額で様々な書籍を読むことができます。その他にも多種多様なサービスを提供しています。

 

日本国憲法

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 

そのために、国は国民に必要なサービスを提供します。それに対して、国民は税金という一種の利用料を支払うことになります。意思決定は選挙を通しておこないます。

 

同様のことが企業体でも出来ないのでしょうか?

もしかすると、日本国民であると同時に、Googleコミュニティの一員であったり、Amazonコミュニティの一員であったりする事で、生活を賄えることになるとしたら?

 

中世のヨーロッパにおける封建制度では、臣下が複数の領主と契約関係に有ったといいます。臣下は領主に対して軍役などを負担することになりますが、領主も土地を与えて、臣下を保護する義務を負います。それは片務的な関係ではなくて、双務的な関係であったそうです。

 

同様に、国というコミュニティに属していることで得られるメリットがデメリットを下回るとしたときに、別の企業体が運営するコミュニティに移行できるとしたら?あまりに苛烈な労役や税金の負担で滅んだ国家は歴史上、過去に存在します。そうなった時の選択肢として、ネット上に別のコミュニティがあったら?

 

国家という単位の存在感が希薄になってきているようにも思うですが、これから先もずっと続いていくのでしょうか?