情緒的”でも”いいが、情緒的”だけ”ではいけない、と思う(*´∀`*)

好き嫌いで物事の判断をすることは普通です。どのような選択をするかはその時の感情を抜きにして考えることは出来ません。情緒的、そのような判断はとても人間的であるし、人間味を感じます。

 

ただ、何でもかんでも好みで判断するわけにもいかないのが現実ですよね。理性的な判断といえばいいのでしょうか、合理的に考えて情緒的な選択に流れる自分を押し止める。時としてそのような決断も必要です。

 

合理的なばかりでは味気ないですが、情緒的に喜怒哀楽で流されるばかりでも都合が悪いように見受けられます。丁度いいところ、感情的な側面と理性的な判断を同居させることが重要だと思います。それは言葉で言うほどには簡単では有りませんが。

 

多くの場合、どちらかに偏っているように周囲を観察していると思います。丁度いいところで着地できているということは少ない。理性的なばかりでは物事は長続きしない。かといって、情緒的に気持ちで判断してばかりでも物事は長続きしない。

 

日々の暮らし、職場の中での何気ない会話、友達とのコミュニケーション・・・あらゆる場面で些細なことがトラブルに発展する危険性はあります。どのような立ち居振る舞いが社会と接する際に適切なのかを見極めることが重要ですが、それは個々人によって最適な方法が違っていますし、他人が教えられることでもないところが難しいところです。