建設的な意見なのか、感情的な反発なのか?

あらゆる場面でその人なりの考えや思いがあるはずです。それらを交換しあって前向きに物事を進めることが出来るのが理想的ではありますが、他人の意見を聞かない、趣旨を理解しない、意見を言わないのに反発するといったことは日常の風景でしょう。世の中、コミュニケーション能力の重要性が強調されますが、現実に上手くいかないからこそ、重要性が強調されると言っても良いのかもしれません。

 

感情的になることが理性的な議論を妨げるような気がしてなりません。嫉妬や尊敬といった感情が現実をそのまま直視することを妨げている。事実を歪曲して捉えてしまう。同じことを認識しても、どのような考えを抱くかについてはわからない。だからこそ、対話が必要なのですが、相手に対する特別な感情が建設的な対話を邪魔する。あくまでも個人的な印象も含めてですが。。。

 

どのような状況が当事者を取り巻いているかも、大切になると思います。

愚痴や不平不満を漏らす事は誰しもが少なからずあるはずですが、そういった状況が起きているということは、それだけストレスがかかっているとも取れます。相手が望ましい振る舞いをすることを期待し、現実との落差に失望する。とても自分勝手な態度ではありますが、それを自身で認識することは難しい。大抵の場合、後になって自分を省みることになりますが、それが先に生かされることは殆ど無い。それほどに自身を客観視することは大変です。メタ認知の発揮には余裕と訓練が必要なようです。

 

他人と向き合うには、ある程度の辛抱強さが必要ですが、それも気質としてそのような素養が備わっていないといけない。諦めや怒りを表すことは簡単です。でも、他人は自分が勝手に想像したとおりの形には動かない。わかる人はわかっているみたいですが。

 

短い時間では信頼関係の構築は難しい、それは長期的な目線で忍耐強く行っていくしかないような気がしています。