薪の上に臥し胆を嘗める
昔、呉と越が互いに争ったことで生まれたのが臥薪嘗胆という現代に残る格言です。
呉王夫差は父・闔閭の仇を討つために、その悔しさを忘れないために毎晩、薪の上で寝ていたといいます(本当ですかね・・・)。そうした思いが叶ったのか、ついに会稽山で越王勾践を追い詰めます。命を取らずに、勾践と忠臣・范蠡を人質に取ることにします。
勾践はその経験を忘れないために、胆を嘗めて身体に悔しさを染み込ませたといいます(こちらも本当ですかね・・・)。
よって、薪の上に臥し、胆を嘗める、つまり臥薪嘗胆という言葉となったわけです。
呉王夫差は勝利に酔ってしまい、贅沢に溺れて国を弱体化させてしまいます。
一方の越は捲土重来を期待して、国力を増強することに努めます。
すごいのは、范蠡は相手を徹底的に弱体化させるために、”傾国の美女”西施を夫差におくって、色に溺れるように仕向けます。他にも賄賂を送ったり、贅沢三昧するよう仕向けたりと様々な策を講じます。
そうとは気づかない、もしくは周りが気づいていても耳を傾けない夫差の影響もあり、呉は徐々に弱っていきます。そして、ついには国が滅んでしまう。
しかし、越の天下も長くは続きませんでした。
「狡兎死して走狗烹らる」と言い残して、范蠡は勾践の下を去ります。
栄華を極めても、ずっと維持することは難しい、というか不可能。
満ちては欠けて、潤っては乾いてしまう。
同時代に生きた孔子の広めた儒教に、中庸という考え方があります。
何事もほどほどがいい、そんな意味らしいですが、
それが一番難しい。
今も昔も行き着くところまで行き着くしかない。
そんな気がします。