過去は”神”が宿り、未来は”幼さ”を抱く

過去を振り返るとき、良いこともそうでないこともあったでしょうが、

良いところだけ取り上げて、それ以外のことはなかったことにする。

過去を美化して神聖化する、そんな風景に出くわすことがあります。

 

「自分の若い時は・・・」

「昔だったら、そうはいかない・・・」

「あの頃は良かったな・・・」

 

過去が偉大で素晴らしい、どこも欠点もなくいい時代の風景のみを記憶する。

ありがちであり、若い方にとっては耳の痛い話でしょう。

 

過去を振り返る時、時代を遡るほどにその傾向は強くなる気がします。

大昔の偉人と言われるような人間も、実際に付き合ってみたら良いところもあるし、

欠けている部分もある、それが自然な人間です。

 

でも、どこか”聖人”として扱ってしまう、勝手に想像してしまう、そう思い込んでしまう、そんな傾向があるような気がします。

それは人間が不完全であることから、過去の偉人はそうではなかった、完全無欠な人間であったと思いたい願望でしょうが、実際にはそうではないでしょう。

 

一方、どこか未来に対しては淡い期待を抱くたり、勝手に失望したりと様々です。

それはまだ起こっていないことなので、いくらでも想像できます。

今からの延長線上にある未来でありますが、どこかユートピアのような世界が広がっているという幼さに包まれた期待があるようです。

 

私もそう願いたいですし、未来は良い方向に向かっていると思います。

でも、ちょっとだけ現実の”苦味”のようなものも含めて、先のことを展望してみても、

いいんじゃないかな?、そんな風に思います。