不正史 vol.6 - 日本製糖汚職事件 -

瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず

古楽府―君子行」

 

(経緯)

日本はサトウキビ栽培に適した土地が少ないことから、砂糖に関しては輸入に頼っていました。明治期の日本においては、毛織物などに並んで、砂糖が重要な輸入品となっていたそうです。となると、関税の負担を考慮する必要があります。

 

生活必需品である砂糖に対して重い税負担を課すことは、国民の暮らしに、国内の業者に大きな影響を与えます。そこで、1902年、輸入原料砂糖戻税法が制定されて、関税相当の還付が受けられることになりました。

 

この法律は当初、1907年までの期限でしたが、さらに延長して1911年まで有効とされることになりました。

 

ここで大日本製糖という会社が登場します。大日本製糖は輸入原料砂糖戻税法の期限延長を目論んで、政治家に賄賂を渡します。それが明るみになって問題とされたのが、日本製糖汚職事件(俗に、日糖事件)です。

 

(考察)

砂糖は現在でも日常生活に欠かせない必需品の一つです。国民の暮らしのために、製糖に関連する産業を保護するというのは、当時の状況を考えると自然な流れだったのかもしれません。国が産業を保護する、産業界は利益を国民に還元するといった流れは、暮らしを守るための一つの形です。

 

大日本製糖はその一助を担っていたといえるでしょう。大日本製糖で働かれていた方々の中には、公共に資するといった考えを持っていた方もいたかもしれません。

 

物事は一側面ではなく、輸入原料砂糖戻税法のおかげで、砂糖に関税が転嫁されずに日々の暮らしを営めることは多くの人々にとって有益だったことは想像できます。

 

賄賂を贈った大日本製糖の関係者も自社の利益を確保するといった思惑だけでなく、同じように国民の生活を守るといった意識があったかもしれません(収賄側の政治家はなんとも言えませんが)。ただ、贈収賄が起こってしまう余地は輸入原料砂糖戻税法の成立時点であったと言えるでしょう。特定の業界を保護するということは、ルールの制定者と保護される業界の双方に既得権益を生みます(それは実際の社会的な意義如何とは別の次元の問題ですが、確かに存在します)。

 

不正の入り込む条件が整ってしまうと、関連する人間が如何に善良であったとしても、時として悪い方向に物事は流れてしまうのかもしれません。組織は一枚岩でないこともあります。実際に贈賄をした大日本製糖の関係者を会社のトップがどうやったら牽制できたのか、非常に難しい問題であります。取り巻く環境が人を如何ようにも動かしてしまう一例です。

 

(参考)

砂糖の関税と消費税に対する意見書|NETWORK租税史料|税務大学校|国税庁

社団法人糖業協会編「近代日本糖業史」 著:三瓶 孝子