「仕事だから・・・」という枕詞は免罪符ではない

「仕事だから・・・」という枕詞をつけるだけで、非効率的なこと、生産的ではないこと、合理的ではないこと、不条理なことが温存される場合があることは、皆さんの身近にも観察されうる事象ではないでしょうか?

 

それは思考することを止めて、他人が決めたルールに従うことを受け入れることでもあります。善悪を自分で見極めることを放棄して、言われたことにただ従うのみ。使う方にとっては都合がいいですが、時にそれは醜悪です。

 

哲学者ハンナ・アーレントホロコーストにおいて主導的な役割を担っていたアドルフ・アイヒマンを「凡庸な悪」と評したことは、現代においても十分に示唆的であると思います。

 

「昔の人間は馬鹿だったんだな・・・」

「酷い人間がいたんだな・・・」

 

そのような感想しか持ち得ないのなら、現代人も過ちを繰り返す恐れがあります。技術は進歩しているかもしれませんが、人間なんてそうそう急に賢くなるわけでもありません。昔の人間より現代に生きる人間のほうが理性的などとは決して言えません。

 

ルールに対する盲信、思考の欠如、善悪の判断といった”仕事”をするなら持ち合わせておきたい最低限のマナーを現代人はみな、キチンと持ち合わせているのでしょうか?

 

仕事だからと、平気で他人の自尊心を傷つけるようなパワハラを繰り返すことは、現代でも問題となっています。仕事だからと過労死が発生する状況を看過する職場は、今でも解決すべき課題です。「最近の若いやつはすぐに辞めてしまう・・・」と嘆く管理者は想像力が欠如していないと本当に言えるのでしょうか?

 

自身の行為の影響はどのような形で、どのような人たちに及ぶのだろうか?、常に自分のやっていることに、「これって本当に有益なのか?」と批判的な視線を向けられるような人間でないと、第2のアイヒマンとなってしまう恐ろしさはあります。

 

悲しいことに、与えられたことを盲信して、処理するだけで、想像力を挟まず淡々と働いているように見受けられる場合もあります。問題はそれを問題とは認識できていないところにあります。