労働マウンティングによる犠牲を減らすには?- vol.2 -
時間外労働、休日出勤の常態化、またそれを賛美する風潮・・・
過去にそれが美徳とされていた頃の名残が今でも多数派であることは事実です。
何が問題であるか?
価値観が極々、個人的な事柄として扱われるのではなく、多くの人も巻き込んだものになってしまっていることです。
前回で述べたとおり、働くことは単なる行為であって、それに対してどのような感情を抱くのか、どのような美学を持っているのかは、極めて私的なものであるべきだと思います。
それを他人にまで拡大してしまうことが悲劇の始まりです。
考えてみると当たり前かもしれません。仕事というものは関係性の中で生じるものであってひとりで完結することは殆どの場合、ありえません。誰かしらの協力関係のもと、発生して完結するものです。
そう考えてみると、おかしなものです。仕事は社会のために行うにも関わらず、パワハラ・セクハラと呼ばれるような行為、労働至上主義的な考えは、近くにいる人間を苦しめてしまいます。
近くにいる人間も大切に出来ないのに、それ以外の多くの人間のことを考えて行動するなんてことはできるのでしょうか?
このような考えがあまりに牧歌的で理想的すぎることはわかっています。が、何事も極端にふれることはよくありません。今は労働が異常なほど褒め称えられているように感じられます。働くこと、仕事をすることは目的があってこそですが、今は手段が目的化しているというおかしな状況に見えてしまいます。
多様性を大切にするという観点から言えば、もう少し、様々な考えをもつ人間を働くことに関連して認めるべきではないか。そう考えています。