議論できるか?、対話する気があるか?
自分だけで考えていると独善的になってしますとは、よく聞く話です。だから、対話を大切にしなさい、人の話を聞きなさいと教えられたりします。自分の考えを伝える、他人の話に耳を傾ける、そうやって対話するうちに気づくこともあります。
注意したいのは、対話といった場合、本を読んだり、人と話したりしますが、無意識の内に情報を選別している、ハナから理解する気などない、場合が少なくないことです。
特に、相手の話を”聞いているフリ”が非常に多い印象です。相手の答えを聞く前に、自分の中で完結して、相手の意見を否定してしまうことは散見されます。
あらゆる人間は一人ひとり違います。
育った環境、年齢や趣味嗜好はそれぞれです。
意見もまた然り。
そのような違いが多様性ある世の中を作っている前提にあるとすれば、それぞれの違いを受け入れない、自分たちが生きてきた世界が絶対的に正しい、とする独善的な、独りよがりの姿勢はみるに耐えません。
「昔は良かったな・・・」
「今の若いやつは!」
「あの爺さんばっかりは・・・!」
そのような意見を抱くことは自由ですが、まずは相手の意見を聞くことが大切なのかと。実際に対話の土俵に立てば、思ったよりも相手の言っていることもおかしなものではないと思うこともあります。
(もちろん、逆もありますが・・・)
先入観、思い込みによる否定、罵倒は全く生産的ではありませんね(ヽ´ω`)