刺激に対する間をつくって応答できるか?

この話は自分を観察していて、自分自身をサンプルとして取っているもので、他に周囲の観察と若干の知識に基づいて行うものです。サンプル数=1ですが、他に+αとしていくつかの浅い知識も加えて考察してみるものです。

 

「刺激に対する間をつくる場合とそうでない場合を上手く使い分ける」

 

達成したいことはそれだけです。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏の『ファスト&スロー』でいうところのシステム1とシステム2を自分の生活に照らし合わせて思ったことを書いてみたものです。

 

ここでいうところの刺激は、熱い鍋を触って条件反射で手を引っ込めるとか、眩しいライトから目を背けるといった動物的な反射だけでなく、他人の話に対して自分なりに咀嚼して回答する、勉強している時にわからないことにあれこれと思いを巡らすといったような、身の回りで起きる出来事も含みます。

 

直感的に応答すること、無意識下で出力される応答によって周囲の出来事に対応することが日々の暮らしの中では大半でしょう。朝起きて顔を洗う、歯を磨くといったことは習慣として行っていて、それは注意して考えてやっているわけではないでしょう。

 

ですが、非日常の出来事、遭遇したことがない状況に出くわすと自分の中のストックを単純に引き出して当てはめるだけでは、対応出来ないこともあります。そのような場合に、言葉をつかって考える、手持ちの知識や経験を応用して処理します。

 

周囲を観ていると、非日常の出来事に出くわした時の反応は2パターンに分かれるようです。諦めずに根気強く向き合う場合、もう一方はすぐに投げ出してしまう場合です。変化を嫌うのが人間の習性ですから、後者の反応は自然といえば自然です。それを怠惰、自堕落と一言で片付けてしまうことはできないでしょう(もちろん、個人的な感情を抱くことは自由ですが)。

 

前者の粘り強く対応する場合でも、辛抱できるかどうかは個人差があります。性急に答えを出す人、時間をかけて取り組む人、実に様々です。時間をかければより良い結果が出るとは限りませんが、間を取れることは注意深さ、繊細さを感じます。

 

非同期のコミュニケーション、つまり書く、読むといった行為は比較的、間を取りやすいでしょう。自分の好きなペースで書くことも、読むこともできます。一方、同期する必要があるコミュニケーション、話す、聞くことは間を取りづらい範疇にあります。どんなことを話すかを頭の中で思案する、相手の話を咀嚼する、いずれも瞬時にできる場合だけではないでしょう。

 

心の余裕がないときは、ついつい焦っていい加減な応答をしがちであることは自分の経験からそう感じます。心の余裕がない、つまり間を取れない、望まない状況に置かれている、極度のプレッシャーがかかった場面にいる。様々な状況が考えられますが、適切な応答をすることを考えれば望ましくはないでしょう。

 

世の中には意図的に相手を貶めようとか、不必要なプレッシャーをかけたり、マウンティングをして相手の自尊心を傷つけようとか、そんな人もいることは誰しもが納得できるところでしょう。

 

そういった人間とコミュニケーションを取るときは、膨大なエネルギーを使いますし、心理的な安全性が確保されていないので、良好なパフォーマンスを発揮しろというほうが無理な話です。誰しもが、アスリートのようにストイックに生きたいわけではないですし、そのような事を万人に要求するほうがおかしいと思います。

 

良好な人間関係と心身ともに健全なこと、それらを確保するための仕組みづくりが個々人のパフォーマンスを発揮させるためには必要なように感じます。