社会に影響を与えられるという実感と生きがい

大河ドラマ『青天を衝け』は物語が進み、幕末の動乱は終わり、明治をどのようにつくるのかについて新政府の人間が喧々諤々の議論を展開する事になります。薩長をはじめとする新政府の人間だけでは事が足りずに、旧幕府側の人間も登用して、新しい時代をどうしていくのかについて知恵を出し合っていくことになります。

 

大隈重信伊藤博文の下、渋沢栄一は改正掛という新しい部署をつくって、鉄道や郵便、養蚕や租税、度量衡、貨幣など、現代に繋がる制度をひとつずつ形作っていきます。

 

劇中で実際に対応する人たちは若く、経験もそれほどない、わからないことも多いだろう中、情熱を持って仕事に取り組んでいる様子が描かれています。暗中模索の中、制度を形作っていくことは即ち、社会を作るということです。それほどまでに、日本という国への貢献を当然としていた時代ということです。

 

現代で会社やその他の組織で働いている中、やり甲斐を感じて、情熱を持って物事に取り組んでいる方はどれほどいるでしょうか?

 

自分のやっていることに熱心に取り組んでいる方も相当数いるでしょうが、そうでない場合もあるでしょう。それは個人の問題ではなく、社会の成熟度の度合いに影響しているように観察しています。

 

徳川の時代が終わり、明治という新しい時代をつくる必要があるとき、旧制度では対処できないので、新しい方法を模索する必要があります。つまり、自分の考えを反映する余地が大きいということです。

 

人間は自分の影響が及ぼせる範囲が広いほど、やり甲斐を見出すように思います。一方、既に制度が確立されている、もしくは自分の意思が社会に影響を与えないとなった時、無力感や絶望感のような思いを抱くことになります。

 

個人の思いや考えを汲み取らずに、組織を維持することはできない。一方、多様な考え方を全て許容すると維持・運用が難しい。

 

制度変更に対する各々の貢献をそれぞれが実感できなければならない。

それを望む人間がいる限りにおいては。

 

伝統と革新の同居は難しいようですね。。。