主体性 or 準拠性 ?

「主体性を持って生きる」

 

言い古されたセリフですが、時代が変わっても大切な心がけということでしょう。

 

何かを決める、自分でどうすればいいのかを考える、何が必要かを考える、でもそれが出来ることはもしかすると珍しいことなのかもしれません。何をやるにしても、言うだけは言うけれど、最初の一歩すら踏み出せずに諦めてしまう人は非常に多い気がします。言い訳をつくる、やらない理由を挙げる。確かに人間の心情としてはそうするのかもしれませんが、いつまで経ってもそれでは悲しいでしょう。

 

逆に主体的に生きることを侵害されることを嫌う人は一定数います。「自分のことは自分で納得して決めたい」、何よりもまずは自分がどうしたいのかが基軸となるタイプの人です。もう一つのタイプは誰かに何かを決めてもらって、それに従って行動するといったタイプです。

 

どちらが良い悪いではなく、2つのタイプがいるように思います。悲しい気持ちになるのは、自分で決断しないのに、リスクはなるべく避けたい上に利益は多く配分してもらいたいといった”いいとこ取り”を望む人が結構な数、いることです。

 

リスクとリターンは比例するといいます。だとすれば、自発的に何かに取り組んだ人間は多くの不確実性を背負っているわけですから、多くの利益を得られることになります。当たり前の話ですね。

 

多くの利益を得ている人間に対して、利益ばかりに着目して、そのために払った犠牲に目を向けずに嫉妬することは往々にしてありがちです。

プロ野球選手が高い年俸をもらうのは高い技術を身につけるために、今まで、そして今も研鑽して高いレベルのパフォーマンスを発揮するからです。

スタートアップと言われる成長期にある会社にお金を出資した投資家が時に高いリターンを得るのは、それだけのリスクを背負っていたからです。

どちらもリスクとリターンは一蓮托生です。

 

話が逸れてしまいましたが、主体的に物事に取り組むときには、当然に失敗する場合もあります。というかそれが多いでしょう。でも当人にしたら、やりたいからやっている、それだけなのではないでしょうか?

 

当たり前の話をしただけでした(*´∀`*)