どれだけ”粒度”を細かくして考察するか?

世の中を観察していると、あらゆることを大雑把に捉えるタイプときめ細かく細部にも注意を払って観察する人間のタイプの2通りのタイプがいることに気づきます。そして、それは関係性の中の相対的なものであり、私の主観のみで捉えていることですが、他の方も同様に感じているような気がします。

 

「鳥の眼、虫の眼」

 

俯瞰して物事を観察する事と細かい事にも注意して観察する事はどちらも大切であるといった意味でこの言葉は使われます。でも実際にはどちらか一方に偏る場合が多い気がします。本来的に持ち合わせている気質に左右される時もありますし、対象に対する知識や経験に左右される場合もあります。

 

どちらが優れているということはないのですが、細部への注意、もしくは派生する領域への発想は生まれ持ったその人の性質によるところが大きいようです。適当な人間を注意深い人間にすることは並大抵でないですし、針の穴を通すようなことを大雑把な人間に任せることも難しいでしょう。

 

「気づきは元々、心の中にあるものを外部からの刺激により顕在化したもの」

 

そんな事を言っていた方がいますが、確かにそれほど必要でないことや有用性に乏しいと思えるものでも注意を払える人間、そのような性格の人間はいます。他人には気づかないような事まで気づくことができる、考えることができる。他人とは違った視点で物事を考察できるのは素晴らしいと思います。

 

ただ、その成果をわかり合えないとしたら、それはそれで悲しい事かもしれません。現代は情報や知見を交換するのにネットがあるから良いですが、”天才”、”非凡”、”異端児”と呼ばれるような人たちは過去、理解されないことに苦しんできたんでしょうか?

 

私は凡人の類の人間なので、”粒度”を細かくするにも限界がありますが、非凡な才能を持ち合わせている人にとっては生きやすい時代かもしれませんね(*´∀`*)