原則は例外を包含する - 重箱の隅をつつくことは余計なコストを生み出すだけ -

数学の定理などを取り扱っている場合を除いて、

世の中の大半のことは原則的な考え方があり、一部に例外的な事象が存在しています。

 

少しの例外も認めない、些末なことを取り上げて批判することは、

余計なコストを社会に負担させているだけではないでしょうか。

 

批判には建設的なものとそうではなく、”批判のための批判”と呼べるものがあります。

 

「何故、このような意見なのか?」、

といったことを考えてみると面白いかもしれません。

 

他人を思っての批判なのか、そうではないのか。

感情が絡むと事態はより一層、複雑になるかもしれません。

 

公平で、中立的で、偏りのない姿勢は望むのは簡単かもしれませんが、

常にそのような状態にあることは、かなりの難易度でしょう。

 

世の中の議論をみていると、価値観の問題であることがほとんどです。

とある学者の方が、こんな風なことを書いていました。

「損得であれば調整は簡単だ。ただ、価値観となるとそうはいかない」

 

価値観の問題で議論すると、結論ができることはないでしょう。

結論に至ったとしたら、妥協し続けることが求められますが、

厄介な火種を後に残すことになりはしないでしょうか?

 

棲み分けが出来ればいいですが、自分の価値観を他人に求めてしまうことがあります。

求める水準が誰の目にも明らかであれば話は簡単ですが、多くのことはそうではありません。

 

みんなが自分の中に”正解”をもっていて、それを基準に物事を判断します。

しっかりと”正解”を説明することが大切ですが、重要性を認識していない、

必要性を感じていないことが多いように思います。

 

対話は大切ですが、感情がそれを邪魔します。

なかなかに厄介な問題です(´;ω;`)