一般に対して反対的な立場を取ることの”有用性”と”愉快犯”

世間で一般的、常識的とされることに対して反対の意見を述べること、批判的な立場を取ること。それによって今まで問題とされていなかったことが可視化されて、よりよい社会の実現に向かうことは有益です。それについては否定しません。

 

一方で、最近、様々なところで見かけるのが、何か考えがあって批判的な意見を述べるのではなく、愉快犯とでも言えばいいのでしょうか、”反対のための反対”といった言動が繰り返されているようです。

 

コンテンツとして面白ければいいのかもしれませんが、中にはあまり笑えないものも少なからずあります。何か良い気づきが得ることが出来れば素晴らしいですが、そうではなく、マウンティングとか、他人を貶めて自分が優位になったと勘違いするような場合、ただただ醜悪です。

 

SNSの全盛の時代ですから、誰でも自分の意見を発信することができます。様々な方々と交流する、建設的に議論できることは大変素晴らしいことだと思います。でも、なかには誹謗中傷の類の発言ばかりの方も目立ちます。

 

それによって、前向きに何かに取り組もうとしている人たちの邪魔をするようなら・・・社会にとって害悪となってしまいます。

 

自分の中の考えと相容れない考えは全て認めないというのは狭小ですし、愉快犯として否定的な言動をするとしたら、礼儀を欠いています。

 

ネットの言論空間はまだまだ成熟していないですし、上記のような問題もありますが、どう使うのかを教える、何が良くて何が悪いのかを教えることが大事なのですが、それはあまり議論されないようです。