条件設定が変われば、それだけで人は如何ようにも振る舞う

昔のことを懐かしんだり、今の若者を批判的に評価する風潮は大昔からあったといいます。いわゆる世代間の価値観の違いですが、それは結局のところは相対的なものであり、絶対的にダメ!ということは無いかと思うのです。

 

現代は変化の激しい時代と形容されます。十年一昔といったところで、十年も経てばどんな出来事も懐かしい思い出にかわるようです。牧歌的であり、微笑ましく、素敵なことですね。

 

人はそう簡単には変わらないことを前提とするならば、現代人がおかしな風潮に染まっている、というよりは環境が変わったから適応している。そのように表現したほうが的を得ているかもしれません。

 

現代人も戦国時代に生まれたら、火縄銃と日本刀をもって命の取り合いをしていたのだろうと勝手に思っています。幕末に生まれたら、倒幕運動に加わっていた人もいるかもしれません。平安時代に生まれたら、一日中、和歌を詠んだりしていたかもしれません。

 

逆に、戦国武将が現代に生まれたら、スマホライブ配信したりするかもしれませんし、維新志士もブロガーになっていたかもしれませんし、平安貴族はTwitterでポエムを呟いたかもしれません。

 

それほどに、人間は条件設定によって如何ようにも変わりうる。適応しうる柔軟性を持っているように思います。生まれた時代に自然に適応する、望ましい行動を本能的に察して、振る舞っている。ただそれだけで、そこに深い意図はないように観察しています。

 

世の中をどのように解釈するのか、常識は刻一刻と変化しますが、状況に応じて望ましい行動を勝手に選択するのは、時代の常であり、誰もがそうだろうと思うのです。