”三顧の礼”は今も昔も変わらない
劉備が諸葛亮孔明を軍師に迎えるのに、三度も訪ねてOKをもらったという、
いわゆる”三顧の礼”ですが、優れた人材を登用するために苦労をいとわない、
多少の難儀も覚悟することは今も昔も同様に大切ですね。
劉備の周りの関羽や張飛などはもしかしたら文句でも言ったかもしれません。
「なぜ、あんな若造ごときのために」
劉備の行動に疑問を投げかけることもあったでしょう。
それでも自分より遥かに年下で経験も浅い諸葛亮孔明を登用しようとしました。
臥竜とよばれ英才で名を馳せていた孔明ですが、実戦では未知数です。
それでも軍師の重要性、孔明の聡明さを評価して登用したのでしょう。
中国の歴史を振り返ると有能な人材を進んで登用しようとした跡がみられます。
人材の優劣が生死をわけるような状況ですから、彼らにしたら当然なのかもしれません。
武力だけでは大事は成せず、自分にとって必要だから、足りないものを補ってくれる
人材を真剣に探しだしたのでしょう。乱世でも斬ったり叩いたりばかりでなく、
どのようにすれば物事は良くなるのか、人民が安心して暮らすことができるのか、
求められることは何なのかを見極めて、適材適所に人材を採用する。
今も昔もそれは変わらないですね。
「多少の欠点には許容して、才能ある人物を登用する」
劉備や諸葛亮孔明と同時代に生きた、魏の曹操の人材の採用方針らしいですが、
どうなんでしょうか?
もしかすると、今の時代は”欠点”の性質によるのかもしれません。
才能ある人物が思う存分に活躍しているのは面白いですね。