思想と武勇 - 諸子百家と武将 -
春秋戦国時代には多様な考え方を持つ諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場しました。
有名なところでは、孔子の教えである儒教、李斯や韓非が説くところの法家、
老子や荘子が説くところの道家、等などあらゆる事を考え尽くした感があります。
私も100分の1も理解できていないですが、苦しい時代に生きたこともあって、
当時代に生きた人々は真剣に物事を追求したのかもしれません。
幸せになるには、世の中がどうあるべきか、国をどう治めるべきか、
切実な願いがどこか壮大な思想を生み出したのでしょう。
思想により社会に、そして後世に多大な影響を与えたのが諸子百家だとしたなら、
武によって社会を変革したのが武将たちなのかもしれません。
漫画「キングダム」では李信を始めとして様々な気質を備えた武将たちが登場します。
王騎、蒙武、桓騎、王翦・・・作者の描き方も絶妙ですが、
これらの武将以外にも現代まで伝わる武勇を轟かせた武将たちは多くいます。
命の取り合い、欲望のままに戦っていたものもいるでしょう、
功名心や支配欲といった人間らしい欲望に突き動かされた人間もいるかも知れません。
現代では個人の欲望を抑えることが良いことだと理解されますが、
乱世とはもしかすると、欲望を発現させることを許された、もしくは当然とされた時代なのかも知れません。惹きつけられ、恐怖を抱き、嫌悪する、けれどもまた惹かれてしまう。そのような時代でしょう。
乱世というものは平和な時代にある人間を魅了します。
日本史では幕末と戦国時代は大河ドラマの鉄板ですし、中国史では三国時代は根強い人気があります。
でも、実際にその時代を生きた人々にとったら、我々が戦いが日常だった時代に憧れを抱くことを不思議がるかもしれません。逆に乱世に生きる人々は平和な時代を夢見ていたのかもしれません。
歴史は繰り返す。
平和な時代に生きた人々、乱世に生きた人々、それぞれがお互いの状況を切望するからこそ、歴史は同じところを行ったり来たりしているのかもしれません。