統制としてはやはり外部からの監視
浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ
石川五右衛門が釜茹での刑に処せられる時に詠んだ辞世の句らしいですが、現代にも十分に通じる話ではあります。古今東西、悪いことをする人間はいるわけで、だからこそ法律が整備され、罰則があり、守るべきルールがあります。
「男の失敗はカネと色恋」
それもまた然りのような気がします。
ではどうやったらそれらを防止することになるでしょうか?
「悪いことはずっと言い続けていく」
映画『七つの会議』で野村萬斎さん演じる主人公が最後のシーンでそんなことをぼそっとつぶやきます。
(映画『陰陽師』といい、本当に名演ですね(●´ϖ`●))
事前にも事後にも、完全な対策は存在しない。人の心に起因するものだから、どうしても対応は後手にならざるを得ない。だからこそ、ずっと悪いことは悪いと言い続けていくことが大切!、そんな風に受け取っています。
あらゆる事例を参照すると、組織は人間の身体のように自らを”延命”させるための行動を自然ととります。それは多くの場合、自らの組織に対して必要な変更を行うことなく、ルールを逸脱する形式をとってしまいがちです。
組織内においても、互いに利害が反する個人間、部署間などで思惑は異なります。とても複雑な利害関係だからこそ、調整は難しい。そして認識しきれない。少なくとも、組織の内部においては難しい。
だからこそ、ある組織から独立した別の個人なり、組織なりが監視することになるのですが、どこまで踏み込んで対応できるのか?、それが肝心なのですが、ケースによりけりといった印象です。
人間が絡むからこそ社会は成り立つのですが、それ故に構造的に不正や誤謬の原因となる感情を排しきれない。人間が介在するからこそ面白いのですが、それ故に前提として既に失敗するための要因を包含しているとも言えます。
やはり、悪いことはダメだと言い続ける、それだけかもしれません。