変えないことの責任を外部へ求める

ヤツらはとにかくレジ打ちだけとか、同じメニューを作るだけとかしていればいい、このラクな職場を1ミリたりとも変えたくはないんだ。

たぶん客も少ない方がいいとさえ思っている。

先代がどうこうなんて、怠けている自分達を正当化するための方便にしか過ぎない。

-芹沢達也『ラーメン発見伝

 

怠惰と詭弁と責任転嫁だけで生きている腐り切った俗物・・・

ああいう口をパクパクあけてエサを求めるしか能のない輩は、

人間と言うより繁殖魚に近い。

-芹沢達也『ラーメン発見伝

 

辛辣なセリフですが、ついつい楽な方向に流されてしまうのが人間というものです。現状が良かろうが、悪かろうが都合の悪いことは黙殺してしまう。『臭いものに蓋をする』、そんな気風も少なからず観られます。

 

「黙して語らず。そして従うのみ」

 

習慣とは怖いもので、今までずっとそうしてきたのに、社会の変化などにより同じ方法が通用しなくなった。ずっと同じようにやってきたのに何故?、それは社会が悪いからだ!、そのように責任を外部に求めてしまう。外部の環境など大抵は変えられないにも関わらず、変化の方向を外に向けてしまう。というか、変化ですらなく、批判の対象を外に向けてしまう。

 

実に恐ろしいことですね(TдT)

 

路頭に迷ったら自分はマジメに働いてきたのに、ひどい世の中だとか善良な庶民面して、政治家あたりを責めるわけさ。

-芹沢達也『ラーメン発見伝

 

「人事を尽くして天命を待つ」

 

まずは自分で精一杯やれたのかどうかを検証することに注力したいものです。

その上で、自助努力でどうにもならないことはお互いに助け合っていく。

私は正しい順序はそうではないかと考えています。

 

「民主主義は自身がどれほど貢献できるかという視点を抜きにしては成り立たない」

 

そんなことをどこかで聞きましたが、そのとおりかと思います。

社会を批判したところで自身も社会の一部であり、社会批判とは結局のところ、

自分に対する批判に通じるところがあります。

 

ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.

- John F. Kennedy