統一され洗練された規格 + 荒々しさ、野性味?

統一され洗練された規格、少しの隙もないやり方は一見すると美しく見えます。それに至るまでに多くの苦労があったりするのでしょうが、一旦、完成してしまうとどこか魅力を欠いた結果になってしまうから不思議です。

 

画一的にやり方を決めてしまって、実施者の裁量の余地を全く残さないと恐らくはモチベーションの低下、環境の変化に対する順応といった点で劣勢になるでしょう。官僚主義と呼ばれるように、従来の方法の踏襲への執着、外部環境の変化を無視するような姿勢、内部事情のみに目を向けて、内部での政治闘争に終始することは現代でも多くの組織で観られるようです。

 

統一規格の対極にあるのが多様性です。よくよく観察してみると、世の中にある様々なものは実に多様な要素から構成されます。それが自然の答えだとでも言うように、本当に複数の要素が複雑に絡み合って物事は成り立っています。

 

不思議なもので、洗練する、昇華するといった場合、一般には余分なものを排して、必要なものだけを残すことになります。でも完成された方式がまだ同じように上記のような問題をはらむことになります。

 

一定の条件付のもとに画一的に動作する構成要素からなる組織は外的要因の変化に対する適応性を著しく欠く結果になる。

 

今も昔もある程度の”アソビ”、一見して不要に思える要素を内在したほうが、いざという時に適応する余地がでてくるようにも思えます。