情報量が増える ≠ 商品やサービスの価値が上がる
街なかには様々な商品やサービスが溢れています。
物質過多と言われる時代ですが、ありとあらゆる需要を満たすべく、
供給がなされています。
その中で気になるのが、「お客さんの視点で商品やサービスの設計がされているのかな?」ということです。
よく引き合いに出されますが、日本の電化製品とApple社の製品を比べてみるのがいい例かもしれません。
テレビのリモコンや洗濯機の操作ボタンはとても色々あって、まずはどのボタンがどの操作に対応しているのかを把握するだけで結構、疲れたりします。
サービスを利用する前に、どうやったらサービスを利用できるのかを理解するのに、
結構な時間が取られている印象です。
多くの需要を満たすためにそのような設計になったりするのかもしれませんが、
それがお客さんの満足度を向上させることに繋がるのかはわかりません。
結構、懐疑的であったりします。
もちろん、そのような製品をつくるエンジニアの方々や会社さんは、
お客さんが要求する事項を満たすために必要なリソースを備えているのでしょう。
ですが、実際に提供される製品がお客さんの利便性を阻害するような結果につながることは多いかと思います。
世の中の風潮として、「情報量が多いことは素晴らしいこと」と認識される傾向にあることに若干、恐ろしさや危うさを感じます。
「あえて不要な機能を削ぎ落とす」
iPhoneの設計が優れているのは、直感的な操作で特段の”学習コスト”を払わなくても、
誰でも容易に操作することができる点ではないでしょうか。
優れた人物が集まって優れた組織を形成しても、上手く機能するのかどうかは別問題ということなのでしょうか。
大企業病、官僚主義といった言葉で形容されるように、伝統あるシステムがいつまでも
その優位性を確保できるわけではないということかもしれません。
”ウチ”の視点と”ソト”の視点の両方があると思います。
組織内部を上手く治めつつ、対外的なことに対応する必要があるでしょう。
そして、それは個人の人生からあらゆる共同体にいえることかもしれません。