結局のところ、気持ちが向かうかどうか
仕事をしていると、こんな声が聞こえています。
「やり甲斐がない・・・」
「面白くない・・・」
「意義が見いだせない・・・」
そういった声をどう捉えるのかは大切です。頭ごなしに「生意気だ!」、「偉そうに!」といった感情的に反応しても何も解決しません。
私は「職業に貴賎なし」の言葉どおり、どんな仕事も人に必要とされるから存在しているのであって、職業自体がどうこうとは考えていません。
おそらく、上記のような意見は従事している仕事にあるのではなく、自分の気持ちの問題かと思います。誰しも好き嫌いや対象となる仕事との相性があります。
どんなに社会的に意義がある仕事でも、自分の考えや思いにフィットしないと集中や情熱を傾けることは難しいでしょう。
逆に一見して単純に見える仕事でも、当事者がどのように取り組むかによって、パフォーマンスや当人の充実感に大きな差が生まれるでしょう。
・・・そして自然に「どんな仕事にも考える余地があるものだな」というひとつの理解に達していた。「考える仕事」があるというより「考える人」がいるという感覚だ。
(下記の記事より引用)
仕事は社会に必要とされるから存在するが、それにやり甲斐や面白さを見出すかは極めて私的な行為となる。
というのが個人的な考えです。
仕事に限らず、何事もそのような姿勢で日々を生きることが人生の充足度に結びつくと思います。
不平不満を言ってしまうのが人情でありますし、時には不条理なこともあるでしょうが、そういった時には、”正しい”考え方を思い出してみたいと思います。