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組織を動かす人物はどんな人がいいでしょうか?

 

「やはり、知識や経験が豊富な人!」

「優しい人がいい!」

「厳しくても、言うべきことを言える人!」

 

色々な意見はありそうですね。

 

古代から今に至るまで中国では、トップに一人の人物が就いて、一国を支配する体制が続いています。共和制のような体制で、多数決で物事を決めるのではなく、トップダウンであらゆることを決裁する。

 

王朝は基本的に世襲制です。優れたトップであれば儲けものですが、もしそうでなければ・・・。伝統や格式を重んじる文化で、家柄を大切にする発想から、代々、王様の家に生まれれば、子供も王様といった形です。

 

サイコロを振るように、代々の王が優れた統治をすることを期待するのはバクチのようです。どうしても備えるべき見識を備えていない人物がその地位に就いてしまう場合がある。見識に欠ける人物でも一定程度の知見が得られるように、様々な帝王学の教えがあるわけですね。

 

また、その補佐をするための仕組みとして官僚機構があります。縁故で採用するのではなく、能力で採用するための科挙の仕組みは今も受験という形で残っていますね。中央の意向を中華全土まで反映するために、官僚機構は上手く機能していたようです。

 

世襲制ゆえ、トップの能力にはバラツキがあるが、周囲の人物は一定程度の能力を備えているように思えます。それは科挙しかり、それ以外の人物を選定するための名伯楽のような人がいたのでしょうか?

 

では実務を処理する時に官僚が上手く機能するとしたら、トップには何が求められるのでしょうか?

 

まずは、嫌われないこと、人徳がなければ、誰もついてきません。いくら伝統ある家柄、育ちがいいといっても、人を惹き付ける何かがなければ、周囲の人間を上手く動かすことは出来ないと思います。いくら、当人物に知識や経験があっても、「あの人、なんか、嫌いだな・・・」と一瞬でも思われてしまうと、ジ・エンドです。それは今も昔も変わらないように観察されます。機微に疎いのはダメです。

 

一方で、人が好いだけでは、侮られて規律が保てなくなってしまうでしょう。「どうせ、あの人は多少の悪いことをしても許してくれるだろう」、そう思われてしまうと、秩序が保てません。法家の思想は、個人に期待するのではなく、システムをかっちりと組み上げて、ルールに基づいて賞罰を与えるというのが基本です。このようなお人好しのトップでも上手く機能しそうですね。

 

私がパッと思いつく、組織のトップの条件をあげてみましょう。

 

・悪口・陰口・軽口を言わない人

・人に対する観察が鋭い人

・口が軽くない人

・ルールを守れる人

・人望がある人

などなど・・・・

 

他にも人によっては条件は違うでしょうが、ざっとこんなところでしょうか。古今東西の色々な組織をみていておもうのが、トップにはまず人柄、次に判断力があるひとが就いて、その周りに実務能力に優れた官僚タイプの人が就くのが一番、上手く機能するということです。

 

韓非子ほどに人間不信ではないですが、部下に対する手綱を上手く使える人でないと、この仕組みを機能させることは難しいです。突き詰めると、そこだけ上手くできればいいかと。トップ、管理職の”能力”はそこにつきる。そう感じます。