多様性の蓄積 → 多様性の理解

多様な考え方を持つ人々が同じ社会で暮らすようになっています。お互いに対する理解、お互いの考え方を尊重すること、お互いに敬意を持って接することは当然に大切なことです。主体的に、自尊心を持って生きる人を傷つけるような言動は許されません。

 

そのために何が必要なのか?

それを考えた時に、一つの回答として「当事者に多様な経験・知識の蓄積があること」が一つの要件になる気がしています。

 

昔、受験勉強をしていた時に、「パターンを覚えて、その組み合わせで問題を解く」といったハウツーを教えられた事がありました。その時はなんとも思わなかったのですが、これはあらゆる状況で適用できる方法なのかもしれません。自身のうちにある、考え方のストックを引き出して、それを適用する、もしくはいくつかの考え方を組み合わせて対象を理解する。

 

「相手のことを理解するには、その人に同じ素地がなければならない」

 

つまり、背景とする考え方、もしくは類似する考え方が当事者に備わっていることが前提条件となるということです。「何でそう思うの?」と言われると明確に言葉で説明できないのですが、全く共通するところがない(そのような状況は稀ではあると思うのですが)と相互に対話することが難しいでしょう。

 

保守化とは、自分の領分の外にあるものを許容しない姿勢です。これはお互いの理解を遠ざける姿勢です。あまり発展性がない態度です。

 

あらゆることは変化するのが常ならば、変わっていくことを認めてそれを楽しむ姿勢が、自分にとっても他人にとっても生きやすい社会を形つくることに繋がると信じます。