黙して語らず&和を以て貴しとなす&以心伝心 etc.・・・

日本社会では多くを語らず、場の空気を察することが尊ばれます。それは日本の美徳とされ、あまり場の空気を乱すことは推奨されません。「何となくの合意」が大切にされる。意思決定も明確な意思決定者がいるわけでなく、その場の雰囲気で物事が進められる。皆さんの日常でもありふれた風景ではないでしょうか?

 

人情の機微、そのような情緒的な要素を大切にすることも理解できますし、私も何でもかんでも言葉にして、事を荒立てることは不快に感じます。

 

その一方で、現実に起こっている問題に対して正対せずに、無視することは避けたい態度であるとも認識しています。事態の悪化を避けるために、今、対処しなければいけないような事も先送りにされてしまう。集団的な意思決定が難しいことを反映しているとも取れますが、それが個人単位でも起こっているように観察しています。

 

「人間は見たい現実だけを見る」、そんな事を言ったのはユリウス・カエサルだったそうですが、的を得ています。現実に起こっていることをどのように解釈するのかは各々に任されています。状況に応じて、それぞれがどのように振る舞うのかはわかりません。想像はできるかもしれませんが。

 

ある事象を認識して、その後のことまで想像できる力が必要なのでしょうが、大抵は事象を無視、言葉を濁して先送りといったことがほとんどのようです。日常の暮らし、突発的な出来事、どちらも同じようです。

 

でも、それで充分に社会が機能しているということは、それが大した問題にはなっていないということでしょうか?

(ある程度のエラーを許容しうるほどに社会が成熟していることは、その社会に生きる人々にとって幸せなのかどうかわかりませんが)

 

話は逸れましたが、難しい、苦しい事にも向き合う気持ちを少しばかりでも持ち合わせていると、事は簡単になるかもしれないと思っているのですが、如何でしょうか?