知ることは如何にして血肉となるのか?
学校や会社、家庭や部活など、あらゆるところに学びの機会はあります。
ですが、そこで学んだことが後で振り返ったときに、本当に人生に有益であったと確信できることは、そうそうないかと思います。
自分から学ぶ意欲をもって学んだことは実際に役に立ちますが、何となく学んだこと、興味や関心がない中で与えられたことは、身につかないでしょう。
結局のところ、積極的に学ぼうという姿勢がなければ、何事も身に付かないですし、
嫌々学んでいるといった心持ちでは、学ぶこと自体を自分から遠ざける結果になってしまうかもしれません。
考える仕事があるのではなく、考えて仕事する人がいる
(引用元)
なかなかに深い言葉ですが、仕事に限らず、あらゆることに言えることかもしれません。自分の外に言い訳せずに、すべての原因は自分の中に見つけることができるかどうか?周囲のことはすべて考えるための材料、学ぶための教科書と認識できるかどうか?
難しいことかもしれません。
まだまだ、自分はその領域には到達できませんが、その感覚は何となくわかります。
目的があっての学習に限定されずに、好奇心や向上心に支えられる学びが大切ではないか?、そんな風に思っています。よくわからないけど、何となく面白そうだから、学んでみよう!そのくらいの意気込みでいいかと。
勉強でもやってないと、人生暇だよ?
(引用元)
そうかもしれません。勉強することはずっとできそうですから。
人生は旅と本と人が重要だということです。
いやー、本当にこの人は凄まじい・・・
見習うところは多いですが、とにかく凄まじい・・・