抽象的であることは汎用的であるが、適切に利用できるかどうかは難しい
何かを学ぶ時に抽象的なことはわかりづらいかもしれませんが、応用範囲が広く、
時代や場所を問わず、繰り返される出来事に適用できることが多いと言われます。
歴史とは過去の人間の営為の蓄積であり、学びを得ることができれば、
同じ失敗や過ちを繰り返さない、だからこそ”歴史に学べ”というわけです。
全く時代も違うし、背景も類似性がないような事象に共通する要素を抽出できて、
過去の事例から対応策を考えて実行することができれば、過去よりも良い結果を、
実りある成果を得られるかもしれません。
ですが、適用することが難しいことも歴史が示す一つの事実です。
ずっと人類は争ってきましたし、今もそれは形を変えて続いています。
不当な弾圧や支配、過酷な統治体制、不合理な規則などが続いているとも思えます。
状況の変化に対して自らを変革することが非常に難しい、
感情的な要素を排して発生した事象だけを捉えることが難しい、
過去から続く習慣から脱却することが難しい、
あらゆる困難なことが改善することを妨げるのかもしれません。
おそらくは蓄積された学びへのアクセスの問題があることも一因ではないかと思います。どんなに立派なことでも、人の目に触れなければ宝の持ち腐れです。
誰かが伝えること、自ら自発的に知識を求めること、その環境が整備されていること、社会的な構造と個々人の気質に起因して、過去からのメッセージにアクセス出来ていないように思います。
また、それぞれの知見を交換する機会が極端に少ないことも悲しいことかもしれません。