わからないことがわからないことは本当に恐ろしい(ヽ´ω`)

 

『無知』出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』最終更新 2021年3月30日 (火) 11:13 UTC

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9F%A5

 

無知の知
「en:I know that I know nothing」も参照
他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。ただし、実際はソクラテスは「無知の知」を主張していない、とする指摘もある。

なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。しかしこれらは「無知が良い」という意味ではなく、「無知であることを自覚することで、新たな学びを行うことを促進し、その結果無知を克服し成長する」ことを意味する。ただし、論語は伝統的に複数の解釈がある(論語の注釈)。

15世紀のニコラウス・クザーヌスは「無知の知」(ラテン語: docta ignorantia,「知ある無知」とも)を説いた。

 

知らないことが何なのかわからないと対処のしようがありません。

問題を認識できたときには、結構な大事になっていることも少なくないでしょう。

その前に忠告してくれたり、アドバイスをくれる人間が側にいることはとても大切ですが、そのような意見にしっかりと耳を傾けることは難しいと思います。

 

そのための有効な解決方法は、周りのことをよく観察することです。

そしてこれで大丈夫なのかと自問自答すること、不備がないか疑ってかかることです。

また、よく学ぶことです。知らないことはどうしようもないのです。

実践の方法とともに有用な知識を身につけることは自分を守ることにも繋がります。

 

失敗から積極的に学ぶことも大切です。

おそらく人間は成功からは学ぶことが少ないでしょう。

でも、失敗したときはそうではありません。上手くいかなかった理由は当事者であれば、かなりの解像度でわかっているはずです。もしくはパッと思いつくはずです。

 

「あのとき、もっと練習していれば・・・」

「あのとき、もっと勉強していれば・・・」

 

それは後になって考えることであり、その時には最善だと思う選択をしたはずです。

後悔先に立たず、あとになってから気づくことは多いと思います。

それを未来の自分に役立てることができたら、だからこそ振り返りは必要です。

 

ベタな表現ですが、過去より今に集中するべきであり、

過去より今の自分のほうが成熟していると考えられる自分でありたいです。

 

膨大な知見がこの世の中には蓄積されています。

インターネットにより、それらへのアクセスは容易になっていますから、

後は取り組む姿勢だけが問題です。

だから、思い立ったが吉日、今すぐにでも考え方と行動を変えることが

将来の自分を助けることになるはずです。

 

自戒の念を込めて記録しておきます。