すべては認識によって成り立っている - 唯識論 -

目の前に広がるあらゆる世界は自分の認識により成り立っている。

唯識論が教えるところですが、実際にそうはいうけれど、ままならないところがあります。

 

世の中の現象を適切に認識できていないことはよく指摘されることですが、

自分の認識により世界が成り立つということですが、各々の認識によりそれぞれの世界が広がっているとしたら、見ている世界が違うこともあります。

どのように世界を認識するのか、どのように捉えるのか、その違いがお互いを理解できない原因だとしたら、唯識論はよく出来ていますね(;´∀`)

 

つまり、AさんにはA世界が、BさんにはB世界が認識されているとしたら、それぞれの認識のズレが生じることもあります。認識の違いを”認識”して、違っているところで歩み寄りが必要なところは、対話によって埋め合わせる必要があるでしょう。

 

誰かの言葉ではないですが、損得の調整は簡単、価値観の調整はできない。

論理的に答えが導けることなら納得できるところに落ち着くでしょうが、

人生をどのように送っていきたいのかといったことは正解がないから、

対話が難しいこともあります。

 

「あっ、この人とはそもそもの考え方が違うんだな」

「この人はこういった見方をするのか」

 

気づくことは出来るかもしれませんが、それを相手にぶつけてしまうと喧嘩のもとです。世の中で起きる争いは大体はエゴの肥大化と違いを間違いと勘違いしてしまうことにより起きている気がしてなりません。

 

価値観の唯一の正解が自分の価値観であると認識することほど怖いことはありません。

今も昔もそのような姿勢は恐ろしい結果を生んでしまいます。

出来る限りの棲み分けをすること、お互いの違うところを許容できるか出来ないかの尺度をもっていることが健全です。