標準化とはそれぞれの認識をみんなの認識にすること
各人の方式を寄り集めて、もしくは理想的な方式を編み出して各人の方式を共通の方式に改めること。それによる効果は各人の方式の可視化、つまり、何をどうやっているのかを把握して、無駄なところや非効率的に行われているところは改善していく。
そして目標とするところを効率的に達成するための方式を全体のルールとする。
これによってまずは管理がしやすくなります。現状いる人員で、どの程度の工数がかかるのか?、予算はどれくらい必要か?、何が懸念点となるのか?、様々なことが把握しやすくなります。
また方法がみんなの知ることになるので、各々の意見を集約してさらなる改善や改良が期待できるでしょう。
何かの仕事(ここでは金銭報酬が発生するような一般的な意味での仕事に限らず、家庭や学校など様々な場面で行われる、目的ある行動全般を意味するとします)が行われる場合、目標に至る過程を最適な形にすることが大切だと考えます。
理想は最初に適切な設計ができればいいですが、そうでない場合、事後的に修正することが求められます。それは一度きりのものではなく、継続的に実施される類のもので、状況に応じて当然に適切なやり方は変わってくるでしょう。
出来るだけ早い段階でそのような意識をもって、事に当たっていくことが望ましいですが、あまりその重要性、必要性は考慮されていない気がします。
新しい方式を考えることもイノベーションらしいです。
もっと重要性が認められてもいいかな、そんな風に思います。
(もちろん、重要性が考慮される領域もありますが、それほどの広がりは見せていないようにも思えます)