映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』原作:士郎正宗、監督:押井守

企業のネットが星を被い

電子や光が駆け巡っても

国家や民族が消えてなくなるほど

情報化されていない近未来ー

-映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』冒頭より

 

近未来を舞台にして技術の台頭により、社会がどのように変化していくのかを想像するにあたって、この作品はうってつけの材料です。

 

作中においては、情報処理の高速化及び正確化、代謝の制御、身体能力の飛躍的な向上、知覚の鋭敏化等は電脳化と義体化により達成されています。

個人が影響ないしは処理できる範囲が飛躍的に広がっているのは、現代とも共通するところがあります(技術的進展により社会構造が変革されている点も同じように思います)。

周囲を人工物で置換することにより文明を築き上げてきた社会が自らに残された唯一の自然物である身体を機械に置き換えた時に何が起こるのか?

自らを機械化していった時に自分という人間を唯一主張しうる要素、それを当作品では”Ghost”と呼称しています。

直感とか霊感といった言葉で言い換えられるようなものだと思いますが、動物的な動作及び反応、言語や数理の処理などを機械で置き換えていった時に最後に残るのが、感情、心の動きであったりするのは想像に難くないでしょう。

 

では、それらはどのように何をもって表現されるのか?

 

本作でも繊細微妙で読み取ることは難しいかもしれません。

”Ghost”という表現でぼかしていますが、結局のところ、処理能力の向上、動作範囲及び出力の強化などは機械化できるが、心の動きは出来ないかもしれない。そんなメッセージがあるようにも。

 

人間がより高次の存在に移行するために、本作のようにひとつの”枠組み”に2つのGhostを同化させるようになれるのか?とても興味深いですね。

機動戦士ガンダム00のアレルヤ・ハプティズムみたいですね(*´∀`*))

 

「争いを止めるために、分かり合うには人々を上位の次元に移行させるしかない。」

 

機動戦士ガンダムに描かれる世界観ですが、遠くない将来に技術を利用して、人々が未知の領域に到達することがあるのでしょうか?

おそらくそれまで生きてはいないでしょうが・・・