失敗した人々を何もしない人々が責めるのはおかしい

何かにつけて他人の失敗を責めずにはいられない人々が多いのは残念でなりません。

何かに挑戦すれば当然に失敗もあるはずです。

 

失敗しないことなどないはずで、

成功ばかりの人生は何もしていないことと同義でしょう。

 

既存の仕組みを運用する人たちも、もちろん重要な役割を演じていますが、

新しいことに挑戦する人たちがいるからこそ世の中がよりよくなっています。

 

挑戦する人、努力する人、目標に向けて走っている人、

そういった人々を”傍観者”が批判する資格はないはずです。

 

建設的な意見なら有効ですが、ただ感情的に誹謗中傷などをする人は、

自分たちのしていることの意味を正しく理解しているのでしょうか?

そのような”攻撃”をすることは堕落であり、自身の価値を傷つけるだけです。

 

色々な意見や感想を持つことは自由でしょう。

でも、外に表現した時にそれによって傷つく人がいたり、

挑戦しようという意欲を削ぐような結果になってしまうことは、

残念でしかありません。

 

アメリカでは、失敗した経験が肯定的に評価される仕組みがあるそうです。

一方、日本では何かに挑戦して失敗した人のことを”親の敵”のように非難します。

 

でもそれによって何か得があるのでしょうか?

そうやって非難するのは大体何もしない人ではないでしょうか?

人生に”当事者”意識があれば、誰もそんなことはしないはずです。

 

不正や過ちは責められるべきです。

しかし、正攻法で真剣に取り組んだ結果、上手くいかなかったことは、

前向きに評価されるべきです。

 

良い風土が醸成されるまでには時間がかかるかもしれませんが、

将来がそうなることを願います。